私たち人間は、完璧ではありません。

人間は、有性生殖によって誕生し、父親と母親からの遺伝子を半分ずつ貰って、出生してきます。

この時点で、生まれ出る子供は、父親とも母親とも違う、別人です。

よく、子供には無限の可能性が秘められている、そう言われますが、それは事実です。

血液型でも、父親と母親が5人ぐらい子供を産めば、その全員の遺伝子が完全一致することはまずありません。

この、遺伝的多様性、世界中で、その遺伝子を持っている人間はたった一人しか居ないというオリジナリティが、あらゆる病害、災厄、戦争などに於いて、生存の確率を高めます。

例えば、血液型なら、A・O・B・AB、この型以外にも、RH+、RH−、この別がありますし、さらに男女の性別によっても大きく異なります。

 

ここで、ある人が考えました。

世界中の人達が、皆同じようになれば、争いが無くなって、平和になるに違いない。

所謂、平和というものに対する考え方としての一つの結論です。

世界を一つにしようと言うのです。

私は、この考え方を、「ロウ(法秩序)」と呼んでいます。

この考え方に於いては、個性は邪魔なものとされます。

そして、その悪平等的な平和な社会に於いて、権力を持つのは、一部の特権階級です。

私は、色んな人に、こういう質問をしています。

「世界を明るくするのに、大きなシャンデリアを一つ用意しましょうか?」

「それとも、一人一人を照らすに足る、ろうそくをたくさん用意しましょうか?」

私は、後者の立場に立っています。

自分を照らすに足るだけのろうそくで、自分の道を歩いて行きなさい、と。

私のような立場を、「カオス(混沌)」とも呼んでいいでしょう。

ただ、私の考え方の場合、万人の万人に対する闘争を是認する事になりますがね。

 

私の父親は、医師です。

父の時代の医療は、こういうものでした。

「偉いお医者先生が、無知蒙昧な患者を治療してやる。」

私には、この考え方が合いませんでした。

私は、精神疾患を患っていますが、現代の精神医療のメジャーな考え方はこうです。

「本人の自己回復力を、医者が支援、サポートする。」

よく、リハビリテーションの世界で、クオリティ・オブ・ライフ、生命の質の向上という言葉が言われます。

私も、一度、理学療法士に尋ねた事があります。

「なぜ、歩けない人間が歩けるようになるのですか?」

理学療法士は答えました。

「元々、歩く力がある人間の能力を最大限に発揮させてるというだけです。」

私は納得しました。

 

私が患っている、統合失調症という疾患に関しても、古い文献を見ると、こんな感じに書かれています。

「遺伝性で、難治性で、進行性であり、薬剤によって常に抑制し続けなければ、暴走してそのうち廃人と化す。」

要するに、人間が回復するとか、自然に治るとか、そういう考え方が一切無いです。

この間違った考え方そのものが、患者を苦しめます。

現代では、患者を病院の中に閉じ込めて社会から隔離したところで、何の治療効果も無い事がはっきりしてます。

また、訪問看護師の中には、こんな考え方の人も居ます。

「精神病患者は、病院の中に居るのが当たり前、自宅で生活させてやってる。」

このように、「患者」を「人間」として扱わない看護師もたくさん居ます。

そういう看護師に限って、自分の子供に対して、偏った教育を施そうとし、親が子供を監護して、「正しい」方向に導いてやらねば、などと言って、私の所に来て、子供の教育ということに関して相談してきて、私が、それは違うと言うと、このインチキ占い師! と暴言を吐いて去っていく、そんなケースもままある話です。

 

占いの仕事をやっていますが、ただ単に、カードを使って、あなたはこうですと言うだけでは、立ち行かない仕事でもあります。

最新の医学知識、教育理論、宗教学、政治史、哲学なども含め、幅広い知識を以て、それで占わないと、本人を取り巻く背景が理解できない為に、チンプンカンプンな事しか言えなくなるのです。

私は、占いの教え子には、徒弟制を取っていますが、ただ単なるカードの所作なら、そこまで難しくありません。

カードを全て丸暗記すれば、誰でもできる話ですからね。

でも、私以外の占い師の中には、電気工事士の資格を持って、その知識も踏まえつつ占うなんて人も居るのです。

貪欲に知識を取り入れ、その上で勉学に励み、人を幸せにする活動に参画したいという方を望みますが、中々現れません。

難しいものです。